荒井曜(Akira Arai)
群馬県前橋市生まれ。本名、塚田誠一。多摩美術大学美術学部絵画科卒業。
現代美術のジャーナリストとして活動した後、1983年セゾン・グループの映画事業に参加。83年11月、アート系映画の老舗映画館「シネ・ヴィヴァン・六本木」をオープンさせる。同劇場の支配人を務めた後、配給会社シネセゾンに移り... 続きを読む
荒井曜 (Akira Arai)
2007/08/15
このカルチャー・コーナーでは、当然、映画を取り上げることが多くなるだろうと予想していたのだが、初回は「書評」、Vol.2の今回は苦手な「演劇」である。
私は誰かのお誘いがないかぎり芝居には行かない。昔、上京してきたときには唐十郎の状況劇場の“赤テント”が田舎者にとって新鮮なカルチャー・ショックだった。でも、それ以後、感動した想い出として残っている演劇といったら、シェイクスピア原作の『冬物語』(セゾン劇場)と、舞台装置が印象的だったタデウシュ・カントールの『死の教室』(パルコ劇場)くらいである。
シチリア王の嫉妬によって謂れのない姦通の疑いをかけられ、16年もの間死んだことになっていた王妃ハーマイオニが生き返る『冬物語』のラストシーンには、物語を知っていながら不覚にも大量の涙を流してしまった。映画監督のエリック・ロメールは、同名の映画作品でその奇跡のエッセンスだけをまさに奇跡的に掬い上げてみせた。
しかし、食わず嫌いと偏見も多分にあると思うが、私が日本の演劇にもっているのは、なんというか、「too much」なものを押し付けられている感覚である。眼前で生身の人間が頑張っている汗臭さが、どうも苦手である。勢い、大声になる複式呼吸の発声も好きになれない。もっと、ぼそぼそと聴こえない、小津安二郎的に静謐で、“お茶漬けの味”的な演劇は成り立たないものだろうか?
東京セレソンデラックスという劇団のことも、『歌姫』が2004年に6日間だけ上演された演目の再演だということも、私はなにも知らなかった。私が昔、シネ・ヴィヴァン・六本木という映画館の支配人をやっていたという理由で、物語の舞台設定を映画館に据えた本公演のパンフレットに原稿を依頼されたことが、そもそものきかっけだった。そんなことでもなければ一生出会わなかったと思う。事前にもらった資料に目を通しても、私が嫌いな演劇の典型のように見えたから。
でもせっかくご招待頂いたので、新宿シアターサンモールという芝居小屋に伺ってみた。パンフに執筆していながら演出家のことをなにも知らないので、「あとで楽屋に寄ってください。」と係の女性に親切に誘われたのに、後ろめたいので「あっ、はい。」と言って逃げてしまった。(すみませんっ!)
さて、肝心の『歌姫』であるが・・・、とっても面白かったのである。 往年の銀幕スターばりに爽やかなナイス・ガイを演じる主演の宅間孝行と、自分自身を中心に個性的な俳優陣を演出する同一人物、サタケミキオ氏によって練り上げられた「物語」に取り込まれてしまってからは、笑って、笑って、最後は不覚にもしっかりと泣かされてしまった。
土佐の漁師町で庶民の娯楽をひっそりと支えてきた「オリオン座」が本日限りで閉館になる。最後の上映は60年代に作られた誰も知らない『歌姫』という映画。一ヶ月前に亡くなった年老いた劇場オーナー、松中鈴の遺言だという。そこへ東京から、小泉ひばりという女性が、息子を連れて訪ねてくる。二人の会話から推察されるのは、ひばりと彼女の母と父、祖父へとたどる家族三代の心の葛藤の物語であり、この場末の映画館から数奇な人生のドラマが生まれたらしいということ。
演劇に対する用心深さから斜に構えて展開を見守っていた私が「やられた」のは、ある一つの美しい演出のテクニックだった。映画館のロビーで話し合っていた母息子の会話が想い出の色を濃くし始めたそのとき、スウっと音もなくロビーや表通りに人影が増え、すべての動きがスローモーションに変わった。その刹那、眩暈のように“なにか”が蘇生した。控えめにスモークが焚かれた(と思う)が、照明がセピアに変わったと思ったのは錯覚かもしれない。気がつけばステージは昭和30年代へとタイムスリップしていた。それを頭で認識する一瞬先に、皮膚感覚でキャッチしていた蘇生感とは、まだ活気のあった当時の映画館の息吹だった。
ステージに造られたセットが、たぶん東京の封切りより遅れて『エデンの東』や小林旭の活動写真を掛けている田舎町の映画館のムードをうまく醸し出していた。路地に面した一階フロア・ロビーだけの設定なのに、オリオン座の看板文字を裏側から透かし見る正面玄関に切り取られた風景には、ちっぽけな盛り場の空気と、遠くない距離に迫った漁港の潮の匂いが充満していた。


住み込みの従業員“四万十太郎”は映写技師。戦争で記憶を失い、四万十川に倒れていたところをオリオン座の人々に救われた。オリオン座の看板娘、鈴(そう、先述した“遺言”を遺して亡くなった未来の劇場オーナー、松中鈴)と太郎は互いに好意を持っている。しかし、自分がどんな人間であったのかさえ思い出せない太郎は、秘めた純情を鈴に打ち明けることができない。そしてある日、太郎の失われた記憶の彼方から一人の女性がオリオン座に訪ねてくる。それが、ひばりの母親である。記憶を失った若者の過去と現在を引き裂くように、彼を愛した二人の女性。人生の選択は一つ・・・。
関係者に訊くところによると、東京セレソンデラックスの存在は演劇界のなかで「微妙」なポジションだという。微妙というのは「演劇批評家の受けがよくない」ということ? 「異端」ということ? 門外漢の私にはそんなことはどうでもよいが、無防備と思えるほど「物語」の持つ力を信じて賭けてしまう演出の潔さによって、一種の透明感に達している演劇を観たのは始めてだった。これは映画になり易い題材なのだが、佐々部清監督の『カーテン・コール』は泣かせようという意図が見えすぎて臭かった。大ヒット作『ニュー・シネマ・パラダイス』も、(小声で言うが)私はあまり好きじゃない。映画的なモチーフを演劇でやることで、不思議なことにあざとさを免れ、面白いハイブリッド感が生まれたのが『歌姫』だった。幕間の転換も、暗転もせずに40年余りの時を遡って見せた、あの“ゆらぎ”のような瞬間。映画的手法であるスローモーションの一瞬が、私の演劇嫌いを少しだけ修正してくれた。
『歌姫』は、新宿シアターサンモールにて7月11日〜8月5日まで。今後、DVD化の噂も。
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群馬県前橋市生まれ。本名、塚田誠一。多摩美術大学美術学部絵画科卒業。
現代美術のジャーナリストとして活動した後、1983年セゾン・グループの映画事業に参加。83年11月、アート系映画の老舗映画館「シネ・ヴィヴァン・六本木」をオープンさせる。同劇場の支配人を務めた後、配給会社シネセゾンに移り... 続きを読む