マックロマンス(MAC ROMANCE)
1965年8月東京生まれAB型。1983年単身渡英しプロミュージシャンとして活動する。1988年帰国、バーテンダーに転身。1993年東京都目黒区自由が丘に「プースカフェ」を開店、自ら店に従事する。2003年バースタイリスト活動を開始。バーのプロデュース、カクテルブックの制作など多方面のフィールドで独自スタイルのバーワークを展開... 続きを読む
バー・スタイリスト MAC ROMANCE
2007/08/20
私は1965年生まれなので15才から25才までの10年間を1980年代にてすごしたことになる。はじめてセックスをしたのも、酒や煙草をおぼえたのも、バーテンダーのキャリアをスタートさせたのも、すべてはこの10年間に起こったことである。
80年代のカルチャーを客観的に検分すると「恥」という言葉に集約することができる。あの分厚い肩パット入りのジャケットがすべてを物語っている。私はその10年のおよそ半分を、ヨーロッパですごしたのだけれど、あちらでも事情は同じで、肩パットのかわりに、ニューロマンティクスという気色の悪いムーブメントが幅をきかせていた。トレンドにはリバイバルという現象が存在するが、80年代のそれはパロディー以外で決して語られることのない悲しい文化である。
さておき80年代の東京の夜を象徴する酒といえば、なんといってもヘネシーである。ブランデーといえば高級な酒の代表格、中でもヘネシーは世界的に認知されたトップブランドである。本来、庶民の手の届く代物ではない。歴史と情熱が作り上げた聖なる水である。ストレートで飲むのがお約束。何かを加えるなんて許されてよいわけがない。大ぶりのグラスに少量を注ぎ、手の中でころがしながら色や香りを存分に楽しむ。ゆったりと流れる時の中、ほんのひと口を含み、そっとのどの奥にすべらせる。あるときは深い哲学的思考の旅に出かけ、またあるときには甘いロマンスの想い出に浸る。選ばれし者だけに与えられた極上の至福。
それを、80年代の東京ではじゃぶじゃぶ水道水で割ってストローで飲んでいた。ディスコ全盛期の話である。主人公はサラリーマンだ。サラリーマンが様々な舞台において主役だったのも、80年代特有の現象である。世は好景気で羽振りのよいサラリーマンも多く存在していた。彼らのステイタスのひとつが、ディスコにVIPシートを持っているということだった。彼らは高見からダンスフロアで踊るOLを物色、お気に入りを釣り上げては、しきりにこの「ヘネシー水割りクラッシュアイスストロー付き」を飲ませていた。このような冒涜的な飲み物ができた背景には店側の策略が存在する。店は儲けのために客単価を上げたい。効率よく客単価を上げるには高級な酒を売ればよい。彼らはブランデーに目をつけた。とりわけヘネシーはネームバリューが高くプライス設定に好都合である。ところがこれがどうも肝心のOLたちにウケがよろしくない。それもそのはず、これまで甘ったるいカクテルや安ウイスキーの水割りしか口にしたことのない彼女らに、この高貴で奥深い味わいが理解できるわけがない。店は考えた。グラスをクラッシュアイスで満たしトロピカルカクテルの様相に、さらに水でうすめて飲みやすくし、ストローを差した。ないがしろではあるけれど、これがOLたちにすんなり受け入れられたというわけである。
今では酒場でブランデーを水割りで注文する人はいない。近頃の金持ちは酒の飲み方でも何でもよく研究している。悪夢の80年代はもはや冗談の中でしか存在していない。しかし私たちは、ふとした日常に、あの忌まわしき時代の片鱗を発見することができる。例えば近所の安売りスーパーで特売の野菜を値踏みしている主婦。彼女の小脇に抱えられたルイヴィトンのバッグから彼女の20年前の姿とまわりの風景を連想することは簡単だ。ダンスフロアの中心でユーロビートのリズムに乗って髪を振り乱しながら踊り狂う彼女をVIP席から眺めているサラリーマンがいる。後方では、バーテンダーたちが流れ作業でヘネシーの水割りを作り続けている。

1965年8月東京生まれAB型。1983年単身渡英しプロミュージシャンとして活動する。1988年帰国、バーテンダーに転身。1993年東京都目黒区自由が丘に「プースカフェ」を開店、自ら店に従事する。2003年バースタイリスト活動を開始。バーのプロデュース、カクテルブックの制作など多方面のフィールドで独自スタイルのバーワークを展開... 続きを読む