小林和史(Kazushi Kobayashi)
デザイナー、アーティスト。outsect
主宰。1983年イッセイミヤケデザイン事務所にてパリコレクションデザイナーとして勤めたのち独立。ファッションを中心として様々なジャンルで活動を続けている。ピエールカルダン賞、装苑日本テレビ賞など受賞多数。
代表作品:1998年「エミールガレ×小林和史展」... 続きを読む
OUTSECTアーティスト/デザイナー 小林和史
2007/11/13
著者が自ら修繕したもの。日常的にガンガン使っている。北大路魯山人作 葉文皿
「継ぐ」と云う言葉は日本の文化や風習を語る上で不可欠な用語である。伝統や業(わざ)を「受け継ぐ」と云う事は、物を生み出しながら、そこに時流を受け継ぎ、その時代に生きる息吹きと作家の精神を引き継いでゆく事だと思う。物理的に云えば、「継ぐ」と云う事は、同質の、または異質のもの同士を継ぎ合わす事である。例えば布地であれば針と糸が必要であり、金属であれば、熱または、ロウづけをする金属や、それらを橋渡しするフラックスが必要となる。近代になってからは、様々な接着剤が開発されて、接着不可能なものは、もはや存在しないのではないかと思う程にまで進歩した。では、昔の人は膠(にかわ)、米粒以外の手段しかもっていなかったかと云うと、そうではない。ある意味、現代の石油化学によって生み出された高性能な接着剤や樹脂を凌ぐものがあった。それは「漆」である。本来、漆は素地をコーティングする塗料なのであるが、その特質から古くより様々な使われ方をしてきたのである。現代の接着剤は接着をする相手を選ぶが、漆は大抵のものに着く、載る、塗る、ノリなのである。天平、平安の時代に作られた花器が、あるいは李朝期に輸入された器などが、後に修復されて今でも立派に使われているのを見ると、「アロン・・・」などない時代にあっても強力で息の長い接着が可能だったのである。全てのものがそうである様に、漆にも乾燥や高熱に弱いという弱点はある。漆は水分で固まる。ある意味、日本の風土によって育まれた産物なのである。使用する側にもそれなりの思いやりが必要なのは云うまでもない。とは云え、何世紀も美しい面影を残している遺産をみていると、現代の技術は生産するためのリスクの割にはあまりに短命であって、色褪せてみえないだろうか。
木端微塵の黒楽茶碗 籠橋宗範作
アノニマスデザインの親方、浜田庄司の皿/桃山時代の黄瀬戸輪花皿
さて、ここに取り出だしたる品々は、その漆によって修繕されたものである。生漆に金粉や銀粉を混ぜ合わせ、割れてしまった部分を継ぎ合わせたものである。いわゆる「金継ぎ」と云われる手法で、昔から名のある陶器に見られる修繕テクニックである。しかし、ちなみに僕は個人的にこの「継ぐ」という行為がたまらなく好きなのである。さて、一方、西洋では磁器やガラス器が破壊されてしまえば、ほとんど廃棄してしまったに違いない。割れた瞬間にその生命は終わるのである。しかし、日本ではそれらを継ぎ合わせ、修復し、大切に受け継いでゆく。ただ単に修復するのではなく、割れた傷跡を「景色」として愛でるのである。この場合の景色とは、割れによって偶然に起こる形のことで、修繕した表状の変化が森羅万象になぞらえて命名されてゆくのである。一度死んだものが再び新しい形容をもらい再生するのである。これはもはや物ではない。なんと救いのある、優しい心ではないだろうか!一見、割れ物に見えても、落ちこぼれなど存在しない、前向きで大らかな社会理念にも成りうる。日本人が本来持つ、慈しむ精神がここにあると思うのだが。
最近、オランダにドローグデザインと云う、デザインをしない、ものの本質を突いたデザイン活動が起こったが、源泉を辿ればオランダ貿易時代に日本から様々な工芸品が入ってきて、日本のこんな精神が輸出され、今なお伝継されているのではないだろうか。まして、これからの時代、自然環境と共にものづくりをしてゆく僕等にとって何か大切なメッセージが隠されている気がするのである。
