連載コラム 海外文学 書評【NO Satisfaction?】Vol.2

スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビー」(1/2)

石間異流(Iryu Ishima)


2007/11/26

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今から約30年前のことだ。日本のある作家は「風の歌」をその耳に捉えることで、鮮烈なデビューを飾った。以来、耳を澄ませること、そしてそうすることで耳の奥にかすかに響いてくる小さな音を丁寧に拾い集めることを、その作家は30年のキャリアの中でひたすら繰り返して来たように思う。その作家が自らの仕事の一つの節目として、先年、あるアメリカ作家の作品を訳した。その訳は必ずしも「完璧」であるとは思えないが(そもそも「完璧な翻訳」なんてものがあるのだろうか?)、その一方で、彼にしか為し得なかった達成が、その翻訳には満ちていたように思う。「耳を澄ませること」。そう、原文から伝わってくる音に耳を澄ませ、そこから響いてくる原作者の息遣いと、そして言葉のリズムをたくみにその作家は日本語に移し変えた。その新訳を読んで、私は自分がその「アメリカ作家」の魅力の多くを取りこぼしていたことを知り、鮮やかな彩りと共に新たな感動を得ることが出来た。もう多くの人は私が誰のことを話しているのかお分かりかとは思うが、翻訳者は村上春樹、アメリカ作家はスコット・フィッツジェラルドのことだ。そして新たに世に問われた新訳は、フィッツジェラルドの最高傑作にして、アメリカ文学史にその不朽の地位を確立した『グレート・ギャツビー』。今回はその本について、「耳を澄ますこと」とはどういうことなのかをテーマに、少し追ってみたいと思う。

スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビー」

『グレート・ギャツビー』が出版されたのは1925年のころだ。アメリカの1920年代は魅力的な二つ名をいくつか持つが、中でも文学史におけるそれはその時代の騒々しくも華やかな息遣いを今に伝える。ジャズ・エイジ。名づけたのは、まさにこの本の作者、スコット・フィッツジェラルドである。そのキャッチーなポップはあまりにも鮮烈で、今の糸井重里だって裸足で逃げ出す問答無用の説得力を持っていたから、瞬く間にアメリカの1920年代はこの言葉と共に語られるようになった。しかしその印象の強さとは裏腹に、実際この「ジャズ・エイジ」というあだ名は何を示しているのか良くわからないところがある。というのは、フィッツジェラルド自身が「1919年5月1日、メーデーの騒乱鎮圧に始まり、1929年の株の大暴落に終わる」と時間的な定義はしているが、一体その何が「ジャズ」なのかを述べていないのだ。ジャズ・エイジなんていわれると、我々はすぐに音楽のジャズとの関連を思い浮かべるが、この呼び名が生まれた1920年代初頭、ジャズという音楽はまだジャンルとしてようやく成立したばかりだったし、そもそもその「ジャズ」という言葉がどうして世に言うジャズを指し示すようになったのかも諸説由来があってはっきりしない。極めつけは、ジャズなんて言葉を使っておきながら、フィッツジェラルド自身、あまり音楽としてのジャズには興味がなかったのだ。

そういうわけで、このアメリカの20年代を示す「ジャズ・エイジ」という言葉は、そのスタイリッシュでクールな響きとは裏腹に、ぼんやりとした輪郭しか我々に伝えてこない。まるでそれは、『グレート・ギャツビー』の中で、主人公ジェイ・ギャツビーが愛するデイジーの幻影を求めて憧れの熱い視線を送った、遥かかなたに灯るあの「緑の光」の様だ。しかし、そんな茫洋とした印象にも関わらず、というか、そうであるからこそなのかもしれないが、『グレート・ギャツビー』には騒々しい20年代のジャジーな響きが満ち溢れている。同世代が舌を巻いた言葉の天才フィッツジェラルドの魔術によって、空間からそのまま切り抜かれた様な日々のパーティーの描写は、他のどのアメリカ小説にもない活き活きとした華やぎに満ち溢れていて、文章の一つ一つが我々の心と、脳と、目と、そして何よりも耳を打つ。そうした響きに耳を傾けることについて、村上春樹の訳者あとがきの言葉が我々に多くの示唆を与えるだろう。その言葉からは、フィッツジェラルドの言葉のリズムを、あの時代の「音楽」そのものとして捉えようと奮闘した、翻訳家としての努力と矜持が垣間見える。

「スコット・フィッツジェラルドの文章には独特の素晴らしいリズムがある。それはすぐれた音楽を思わせる優美なリズムだ。彼は文章をそのリズムに乗せ、童話に出てくる魔法の豆の木の蔓のように、空にむけてどこまでもするするとのばしていく。流麗な言葉が次から次へと生まれて成長していく。空中のスペースを求めて滑らかに移動していく。美しい光景だ。(中央公論社『グレート・ギャツビー』339−340頁)」

村上春樹自身、文章のリズムと音を大事にする作家であるからだろうか、彼のこのあとがきの言葉は、フィッツジェラルドと二人して織り成す、ジャズのインプロヴァイゼーションのように美しい。だがやはりフィッツジェラルドと村上春樹、二人の時間を越えた共演が最も美しいハーモニーを響かせるのは、本文の中においてこそだろう。たとえば我々は、下記の引用部分を訳す時の、しん、と耳を済ませるように目をつぶる訳者と、それを前にしてピアノの前で瞑想するかのような原作者の、時空を越えた目線の交わりを想像することが出来はしまいか。



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