石間異流(Iryu Ishima)
関西の大学院卒業後、各地を流転しながら文学研究に励む英米文学者。文学をこよなく愛し、文学から見える世界の様相、文化、思想などを緻密に読み解いていく。
石間異流(Iryu Ishima)
2007/11/26
「僕はデイジーの方にまた目を戻した。彼女は低いスリリングな声で、僕に何かを問いかけていた。それは人がひたすら耳を澄ませ、その高低を辿らなくてはならない種類の声だった。その一言一言に、これはこの先二度と奏でられることのない特別な音符の配列なのだと言う趣があった。彼女の顔は切なげで愛らしく、 そこにはいくつかの輝かしい部分があった。輝かしい瞳、そして熱を含んだ輝かしい口元。しかしなんといっても、彼女を憎からず思っている男にとってまこと 忘れがたいのは、その声にうかがえる心の高ぶりだった。歌うがごとき甘い無理強い、「ねえ、聴いて」という囁き、彼女がつい先刻このうえなく愉しい何かを 終えたばかりなのだというしるし、そしてまた別の愉しいわくわくするものが、これから一時間ばかりは近くに控えているはずだという示唆。(同24頁)」
男と女の視線の交錯。この物語はジェイ・ギャツビーとデイジーの燃え上がる恋の物語ではあるが、ここでデイジーを語っているのは、この物語を我々に伝える男、語り部のニック・キャラウェイだ。ニックのデイジーへの気持ちはついに明かされることはないが、このパッセージからあふれてくる切ないほどの美しい響きは、語り手ニックの中にある、失われてしまった存在への愛惜を我々に伝える。「ねえ、聴いて」から始まる、ぞくぞくするような予感、そしてそれが句読点で区切られながら、我々の方へと徐々に、徐々に、ためらいがちに伝えられる。短い文章の中で三度も繰り返される「輝かしい」という言葉が、まるでリフレインする主題の様に基調を作り出し、そしてその「輝かしい」光の後ろには、なまめかしい男と女のひっそりとした息遣いが、そっと第二主題として織り込まれている。目線、暗示、微笑、仄めかし、予兆。パーティーを彩る目を覆わんばかりの光と、暗闇の中で繰り広げられる男と女のラブゲームの魅惑。原文もまさに、まるでスタッカートを繊細に刻むように分断された言葉が、細心の効果を計って配列されているが、村上春樹の翻訳は、フィッツジェラルドの刻んだその恋と愛の、男と女の揺らめくシーソーのリズムを、いささかも損なわないように、繊細な努力が払われている。見事な翻訳というべきだ。
恐らく、文学を読むことの愉楽の一つは、言葉の意味をたどることでもなく、また物語のはらはらするような帰結を楽しむことでもなく、言葉が作り出すタペストリーの色合い、あるいは言葉のリズムが作り出す無言の音楽を聞き取ることにあるんじゃないか、フィッツジェラルドのこの奇跡の傑作を読むにつけ私はそう思う。村上春樹がフィッツジェラルドの翻訳を通じて、我々に示そうとするのは、その「無言の音楽」の豊穣さにあるといえるだろう。「耳を澄ますこと」を一貫したテーマとし、ある意味では常に「風の歌」を描き続けてきた村上春樹以外に、これほどの翻訳を達成することは出来なかっただろう。そして彼の翻訳を通じて、意味の世界を超越したところに成立する言葉自体の微妙な音色の変化を感じ取ったとき、我々はおそらくフィッツジェラルドがこの時代を「ジャズ・エイジ」と名づけた本当の意味合いを知ることが出来るだろう。最後にもう少しだけ、この失われたものたちへの愛惜に満ちた物語と、そして「ジャズ・エイジ」の残響について書いておきたい。
もう一度、上に引用した文章を見直して欲しい。魅惑の美女デイジーを語るこんなにも高揚した文章の中に、本当にひっそりとその最後の瞬間を告げる主題が、遠くに響く鐘の音の様にわずかに聞こえる。熱っぽく語られる「輝かしい」デイジーの描写の中に、「二度と奏でられることのない」運命を、フィッツジェラルドは組み込んでいるのだ。二度と同じ音楽が生まれ得ない、あのジャズのインプロヴァイゼーションの奇跡の様に、ギャツビーとデイジーの奏でる恋の音楽は、同じフレーズを二度と繰り返せない。ギャツビーはそれを永遠に繰り返そうとした男だった。そしてデイジーはそれが二度と戻らないことをわかりつつも、ギャツビーの熱情に賭けた女だった。だがそれは適わぬ賭け。作者フィッツジェラルドは、その愛が二度と戻らないものであるからこそ、彼らの不義の愛が美しいものになりうることを良くわかっていた。そしてそんなフィッツジェラルドだからこそ、恐らくは自らの名づけたこの「ジャズ・エイジ」もまた、同じことを二度と繰り返せない「終わりの宿命」を、最初から抱え込んだ世代として見越していたんじゃないか。
『グレート・ギャツビー』を読むたびに、私はそのフィッツジェラルドの悲しい予感に打たれるのだ。ざわめく騒々しいパーティーの長調の中に紛れ込む、全ての人が去った寂寞の短調の響きに、打たれるのだ。
関西の大学院卒業後、各地を流転しながら文学研究に励む英米文学者。文学をこよなく愛し、文学から見える世界の様相、文化、思想などを緻密に読み解いていく。