連載コラム グルメ 【マックロマンスの遊牧民的バーライフ】 Vol.64

ハッピーバースデイ!(1/2)

バー・スタイリスト MAC ROMANCE


2008/10/31

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ハッピーバースデイ!

Kersolの副編集長にて、遊牧民的バーライフの担当者であるところの澄田さんが30才をむかえたそうである。仕事っぷりが立派なので、いつも同世代の人のようにやりとりしているけれど、考えてみれば私よりもひとまわり以上も若いんだ。毎週、書いたコラムを澄田さんにメールで送信するのだけれど、ときどきそれに返事が返ってくる。プロを相手に失礼かも知れないけれど、とても素敵な手紙を書く人だ。ちょっと見せてあげたいが、他人の手紙のやりとりを盗み見するのはあんまり趣味のよい話ではなかろうから、ま、私だけの楽しみということで御免。

私が30になった時のことを話す。それは、まさに人生の節目だった。私は子供の頃から体が弱く、スポーツが苦手で、それがずっとコンプレックスだった。かけっこではビリ以外の記憶がないし、球技においてはもう悲惨な思い出のオンパレードである。平凡なゴロをトンネルしてサヨナラ負けしたソフトボールの試合の悪夢は今でも忘れ去ることができない。

29才のあるときに、友人からスポーツクラブに入会する誘いを受けた。ひやかし半分で入会したが、通ううちに水泳にはまった。狂ったように泳ぎ始めたのである。最初は100メートルだったのが次第に距離が増えていき、いつしか泳ぐことが生活の中心になっていた。夜遊びの回数も少なくなり、深酒もしなくなった。水を得た魚とはまさにこのことである。

そんな水泳づくしのある日、スポーツクラブの掲示板でふと見つけたのがトライアスロン大会の告知だった。トライアスロンってあれだろ? 泳いで自転車乗ってその後走るんだよね。その通り。スポーツは何をやってもハードだけれど、これ以上、過酷という言葉にこれほど挑戦的な競技が他にあろうか。大会の開催が7月。その翌月が8月で私は30才になるというタイミングだった。

私はスポーツからずっと逃げていた。本当はスーパーゴールを決めて声援を受けたかった。満塁逆転ホームランを打ってヒーローになりたかった。楽器を始めたのは、スポーツでは真っ向から勝負ができないからだった。海外に行ったのは日本では誰にもかなわないからだった。自分で店を始めたのは、会社というシステムの中で勝てる自信がなかったからだった。そう。私の人生は逃避。逃げて逃げて逃げまくることだった。私は一度たりとも勝負に挑んだことがなかった。

初トライアスロン完走したときの感動はもう忘れてしまった。でもそのゴールの事実は一生私につきまとう。それが、私が生まれて始めて自らの意思で挑んだ戦いだったからだ。それが、生まれて始めて味わった勝利の美酒だったからだ。30才にしてようやく「挑戦」するという喜びを知ったのである。

あれだけ苦手だったスポーツは、今ではコンプレックスどころか私の生活の大きな部分を形成している。トライアスロンに参戦するのはやめてしまったけれど、36才からフットサルをやるようになり、40をすぎてから今度はキックボクシングの門を叩いた。元々が運動音痴だから、何をやってもそんなにうまくはいかないけれど、何事にも本気で取り組めば「楽しむ」レベルに到達できるということは身をもって実証していると思う。





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